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OB・OGから一言
「文学部に来る意味は?」
その問いに答えることが、実はできません。
そんな僕ですが、一人のOBとして僭越ながら文学部のことをご紹介させていただこうと思います。
皆様は、何故このページをご覧になっておられるのでしょうか。
単純に文学部に関心を持った方が多いと思います。神戸大学文学部への進学を決めてしまった方もいらっしゃれば、悩んでいる方もいらっしゃるでしょう。文学部が結局何をするところなのかさっぱり分からない方もいらっしゃるでしょうし、「文学部に入りたいけれど就職できないんじゃないの?」と不安を覚えている方もいらっしゃるでしょう。そういった皆様全員を納得させられるかどうかは分かりませが、僕が文学部生活4年間で学んだこと、得たものを語ろうと思います。しばらくお付き合いください。
まずは僕の経験からお話して、その後文学部全体のことに関して少々お話できればと思います。少し長くなりますが、どうぞ気楽に読んでくださいね。また、少々ラフな口調になってしまうことをお許しいただければと思います。その方が書いててラクなので。
大学に入学した頃、僕は哲学を学ぼうと決めていました。受験のストレスなのか何なのか分かりませんが、何をしても「これ」という実感が得られなかった高校時代に対する一種の「救い」を哲学に求めていたわけです。今思うと、哲学を学ぶことで何かが分かるかもしれない……と、そういった期待があったのかもしれません。
おそらく、文学部に関心のある方はかつての私のように「これ」という実感が得られていない方も多いのではないでしょうか。当然ですが、「確実に弁護士になりたい」という目標をお持ちであれば法学部に進まない理由はありませんし、経済について関心がある方が経済学部に進学しない理由もありません。国語科の教師になりたい方など文学部に進学する強い動機をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、まぁそういった方々はご心配要りません。神戸大学文学部は一通りそういう方が安心して学べる環境を揃えているように思います。問題は、「これ」という実感なく文学部に進学したとして「何があるか」ですよね。
話を戻しましょう。
神戸大学文学部では、哲学、国文学、心理学等、様々な専修から、一年目が終わる頃、進みたい専修を自由に選択することができます。最初から僕のように一つの専修に決めている人もいれば、入ってから悩んで決める人もいます。僕は哲学専修に進もうと考えていましたが、自由に様々な授業を受けながら、本当に哲学専修に進んでもいいのか?という疑問が生じてきました。もともと、どうも優柔不断な性質でして。
一年生の後期、僕はある授業に出会いました。
フランス詩を学ぶ授業です。
ドイツ哲学を学ぶ意志が非常に強かった僕がその授業を受けた理由は、「空き時間を埋める」ため、そして「なんとなく」でした。
……にも関わらず。その授業の面白さが、僕にとってあまりにも強烈だったのです。
その強烈さをコトバで語るのは非常に難しい。だから、ただ一つだけ僕がフランス文学を学ぶことを決定づけた一つの作品の冒頭を引用します。
ロートレアモンというフランスの詩人がいます。彼の代表作、『マルドロールの歌』の「第一の歌」は以下の様な冒頭から始まります。
「神よ、願わくば読者がはげまされ、しばしこの読みものとおなじように獰猛果敢になって、毒にみちみちた陰惨な頁の荒涼たる沼地をのっきり、路に迷わず、険しい未開の路を見いださんことを。読むにさいして、厳密な論理と、少なくとも疑心に応じる精神の緊張とを持たなければ、水が砂糖を浸すように、この書物の致命的放射能が魂に滲みこんでしまうからだ」
(手元に書籍が無かったため、インターネット上の記事より引用しました。http://1000ya.isis.ne.jp/0680.html)
作品の最初から、作者が読者にケンカを売っている。
自分自身の書いた書物が「毒物である」と、そう強烈に、鮮烈に主張している……
その大いなるエネルギーに、その大いなるエネルギーを魅力的に語る先生の語り口に、なんというか、僕はやられちゃったわけです。
文学の毒にやられちゃったその瞬間、僕の今後が決まりました。
結局のところ、そういった選択ができたのは単純な話。
神戸大学文学部が自由な空間だったからでしょう。
「これを取らないといけない」という単位の縛りも非常に緩く、また、僕は第二外国語でドイツ語を学んでおりフランス語に関してはさっぱりだったのですが、フランス文学専修に進めないということはありませんでした(まぁ後でそれなりに苦労しましたが)。
で、その後は非常に自由に残りの3年間を駆け抜けました。芸術学の映画に関する授業を受けたり、哲学の授業を受けたり、イギリス文学の授業を受けたり…… 様々な種類の授業を受けました。そして同時に、フランス文学専修の中で徹底的に追求すると決めたフランスの作家にして「死とエロティシズムの哲学者」、ジョルジュ・バタイユの研究も進めました。僕はわりと早い段階でジョルジュ・バタイユをテーマに卒業論文を書くことを決めてしまいましたが、最後の最後まで卒論のテーマを決めていなかった人もいます。要はここも、非常に自由なのです。
と、そんな自由な4年間を過ごしましたが…… 結局、「その意味がなんだったのか」よく分かっていません。「文章を緻密に読解することが社会人の生活の中でも役立つ」などと表層的なことは言えますが、それならば経済学部でも法学部でも全く同じであるように思います。
文学部に進むこと固有の価値とは、意味とは何なのでしょうか?
正直、よく分かりません。多分、ドイツ哲学を学んでいたところで何かが分かっていたとは到底思えません。学問は結局、「何かのためになる」というようなものではないからです。
ただ、それでも確かに言えることは……
この純度の高い学びを得られたことを、価値があると信じ抜くことができたフランス文学を徹底して学べた3年間が、今の僕という存在を構成しているということです。
今、僕は東京のIT企業でシステムの開発をしています。文学の分析も、ITスキルを徹底的に磨き上げることも本質は同じだと思ったからです。結論を言えば全然違いましたが、まぁそれも一興。今後引き続きITの世界の中で「問い続け」ようかなと思っています。
で。このようになかなかひねくれた大学生活を過ごした私でも、問題なく就職はできました。周囲の学友たちは皆僕より素直な性格だったので、就活もスムーズに進んでいたように見えます。教職や公務員を目指している人たちも、みんなそれぞれ頑張っていました。結局のところ「『文学部だから』就活に不利」なんてことは決してありません。ただ、文学部はその性格上、やろうと思えば「就活の不合理を哲学的視点から徹底的に分析する」なんてこともできてしまいます。そういった学問的態度が「就活に馴染むか」と言えば全く別の話で、そういった意味合いでは「就活に不利」には「なり得る」でしょう。ですが、「就職したい」という意志がある限り、文学部であることが不利に働くことは周りを見ている限りありませんでした。その点はご安心下さい。
僕の場合はフランス文学専修で徹底的に作品分析を愉しみましたが、心理学や社会学等、作品分析とは全く異なる性質の専修も多々存在しています。興味がある領域であればかなり幅広く受け止めてくれる、そういった度量、自由度が文学部の魅力と言えるでしょう。
そういった空間で、皆様が何を学び、何を悩み、何を思い、何を得るのか。それは僕には分かりません。皆様が皆様固有の「何か」を、この神戸大学文学部という空間で「探し求められる」ことを一人のOBとしてお祈り申し上げます。
最後に僕が卒業論文で扱ったジョルジュ・バタイユの『空の青み』から、僕が大好きな一節を引用して終わりにしましょう。
「私は車から降りた。頭の上には星空が見えた。それから二十年後、ペンで自分を突いていた子供は今、空の下、これまで一度も来たことのなかった見知らぬ街で、自分でもなにかわからぬ不可能なものを待っている。(…)この不透明な夜の中にあって私は光に酔っていた。(…)私の目は、現に私の頭上に輝く星々の中にではなく、真昼の空の青みの中をたゆたっていた。私は目を閉じ、この輝く青みの中にとけこんだ。(…)私は笑った。今やこの夜の中を壁に沿って歩く私は、もうペン軸を自分に突き立てていた悲しい少年ではなかった。」
(河出文庫 ジョルジュ・バタイユ『空の青み』伊東守男訳 p.161)
高田 萌(平成26年度卒業生)
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